2017年11月15日水曜日

有形と無形そして現象と理論

前回は 
物理現象が形のパターンで表せる
という事を述べましたが、
次の様な疑問を抱いた人もいるかも知れません。

「素粒子の性質や種類や
 力やエネルギーや電荷や質量など
 形のパターンに現れない現象もあるのでは?」

この疑問に簡単に答えると

「物理現象を有形と無形に分けた場合
無形は有形なしにその存在を裏付ける事が出来ないため
無形は有形に関する理論とみなせる」

と言う感じになります。

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もっと簡単に言うと
「素粒子の性質は素粒子の動き、
つまり形のパターンを
見ないと分からないので
実在すると考えなくても良い。
現象としては形のパターンだけが存在すると
考えれば良い。
性質は実在する現象というより
理論なのだ。 」

 みたいな感じです。

このページではこの事をもう少し丁寧に
説明しますが、意外と長くなってしまったので
面倒なら次のページに進んでしまうのも
良いかも知れません。
次のページでもこの事を理解するための例を
書いています。
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さて
「物理現象を有形と無形に分けた場合
無形は有形なしにその存在を裏付ける事が出来ないため
無形は有形に関する理論とみなせる」

と言うのはどういう事でしょうか?

まず有形無形という用語の定義をします。

形のパターンを「有形」
それ以外の事は「無形」と呼ぶ事にします。


例えば
リンゴが落ちる様子は形のパターンなので有形です。
ではリンゴに働く引力(万有引力)はどうでしょうか?

「リンゴが落ちる原因を作っている何かがある。
その何かは形では表せないがリンゴが落ちるのだから
確かに存在しているはずだ。それが引力だ。
引力は無形の事象なのだ。」

と主張できるかも知れません。


さて、ここで問題です。
引力が無形の事象だとしてもそれは
リンゴを落とす要因として本当に
必要不可欠な現象なのでしょうか?

それとも
世界には現象としては
リンゴが落ちたり、木の枝をしならせる様な
有形だけが存在し、
そういった事を一般化して
引力と命名しているだけ
なのでしょうか?

これは鶏が先か卵が先かの様な
判定が難しい問題の様に思えます。


ここで一つ提案があります。

無形は現象ではなく有形に対する理論である
と考えてはどうでしょうか?

つまりリンゴの例で言うと
引力は現象そのものではなく
リンゴが落ちるという形のパターンに対して
説明を与える存在=理論である
と考えるわけです。

つまり事象を有形かどうかを基準として
現象と理論に分けて考えるのです。


そうする方が良いと思える理由の一つは
物理の理論が未だに完成していないからです。

昔ニュートンの思い描いた万有引力や力学は
今ではアインシュタインの相対性理論によって修正した方が
正確に形のパターンを予測できる事が分かっています。

また近年は銀河の動きなどの宇宙規模の現象が
万有引力で予測される動きと違う事から
ダークマターの様な新しい理論の提唱が起こっています。

つまり昔から
形のパターンだけは確かに現象として存在
していたはずだが一方で
無形=理論は今なお変動が続いている
と言えるのです。


さてここまでで
有形=現象
であり、また
無形=理論
だと言えそうだと述べました。



これが正しいなら
全ての物理現象が形のパターンだけで表せるか?
という問いの答えとしてYesを出せるだけではなく
物理現象は形のパターンそのものだ
とすら言える事になりそうですね。

しかし
本当にそう言い切って良いのでしょうか?

次の様な疑問を抱いた人もいるのではないでしょうか?

「理論はやがては完成するかも知れない。
そもそも
詳しく分からない事と
それが実在するかどうかは別問題
なのでは?

リンゴが地球に引き寄せられる正確な
要因が何であれ
それを現象と言っても良いのではないか?」

という様な疑問です。

実際、無形が現象である可能性を
完全に捨てる事は難しいかも知れません。

そこでとりあえず、ここでは
次の様にまとめておきます。
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形のパターン(有形)は確かに我々の実感として
存在しているし、科学的な議論をする際にも
否定できない要素だと言える。
しかし無形が現象として存在している証拠はない。
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