2016年12月18日日曜日

規格

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規格
形象パターンにおいて性質や法則を想定する場合、これを規格と呼ぶ事にする。

成立と破綻


規格の目的はシミュレーション
本来、形象にルールはない。空間の中に我々が勝手に形を見出して、ルールを設けるのが規格である。だから規格というのは我々が自由に想定できる概念だと言える。
なぜ規格を考えるかと言えば、どの様な規格があれば物理パターンが現れるかを考えるためだと言える。

規格なき選択がされた世界はほとんど崩壊する
世界のつぎの瞬間は自動選択でしかない。どの範囲をどの場所にどの程度の時間抽出してパターンとして解釈するか…この約束事がない世界は混沌でしかない。

規格は結果によってしか保証されない
我々は形象に対して自由に規格を考える事ができるし、それら規格を持つ形象がどの様に空間に配置されている状況でも想定できる。しかし現実の物理世界がどの様なパターンを展開するかは、自動選択による結果でしかない。


速度選択


無駄に複雑な規格は速度選択によって淘汰される



類似選択




知覚パターンと解釈
知覚パターンはある程度は単なる解釈の問題だと言っても良い。つまり時空パターンのうち、知覚パターンは、こういう見方をすれば世界が現れるが、そういう見方をしなければ世界は現れないという、トートロジーとも言える様な単なる解釈の問題という側面がある。
例えば可視光で日常的な地上の世界を見れば我々が知るような形が現れるが、ガンマ線と干渉するパターンはそれより少なくなる。またライフゲームのルールで空間を見れば、それに従った特定のパターンが現れるが、ライフゲームのルールで空間を見なければその特定のパターンは現れない。当たり前の論理である。
 この様にどの様な解釈や規格で世界を眺める事も自由だが、だからと言ってその規格が知覚規格として成立するかどうかは別問題である。どの様な規格でも知覚を構成できるとは限らないからだ。規格としてどれだけ精巧なモジュールを考えたところで、実際は言わばランダムな形象パターンのランダムな選択にさらされる様なもので、その中で知覚パターンを維持できるかが問われる事になる。

知覚パターンだけでなく外部パターンを説明する規格が必用
我々の脳を構成する分子の電荷や質量がある程度狂えば知覚が崩壊するだろうから、我々を構成する知覚規格は物理法則とある程度等価と考えても良いかもしれない。つまり物理法則を無視した場合は、その瞬間に意識が崩壊するので、物理法則という規格が自動選択の際に守られるという考え方である。
 しかしその考え方だけでは我々の体の外部の環境において物理法則が守られる事は説明できない。例えば知覚を維持する範囲で、周囲の物質が宙に浮くなどの物理法則を無視した動きをしないのはなぜかが説明できない。


2016年11月3日木曜日

変積・吸放パターン

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変積(拡大・縮小)形象・パターン・系
時間とともに形象の大きさが変わる事を変積と呼ぶことにする。また変積する形象を変積形象と呼ぶ事にする。
変積形象のうち、拡大する形象を拡大形象、縮小する形象を縮小形象と呼ぶ事にする。
変積形象が作る形象パターンを変積パターンと呼び、その中でも拡大するパターンの場合は拡大パターンと呼び、縮小するパターンの場合は縮小パターンと呼ぶ事にする。
また、これらの形象パターンが複数ある事を強調したい場合、系という語尾を用いる事にする。


拡大と縮小は周囲とのバランスによる相対的な事象である
拡大パターンと縮小パターンは必ずしも区別が明らかになる訳ではない。それらは必要に応じて周囲の状況と共に定義される事象である。




例えば上の図は三つの黒丸の形象の軌道を表すものである。これを右回りに見れば拡大パターンであり、左回りに見れば縮小パターンとなる。いずれにせよ、何か比較対象がなければ三つの形象自体は自分達が拡大を続けているのか縮小を続けているのかすら区別が付かない。

例えば本論で物質が縮小するパターンを述べた時、その事象を真空が拡大するパターンに置き換えられる場合がある。しかし必要がない限り、こういった主同世界の存在をいちいち指摘はしない。


規定
特定の形象パターンや規格が別の形象パターンや規格の成立を保証する事がある。これを規定と呼ぶ事にする。

縮小形象と軌道の規定
上図Aにおいて、各黒丸で表した形象が各自の中心を保ちながら縮小した場合、図Bの様に離れ離れになる。比較対象全ての大きさが同じように変化する場合、その変化の発生は本質的に確認が出来ないため、現象としては離れ離れになるだけである。

従って仮に縮小対象の形象が全体の構造や比率を保つ場合、移動を併発させる必要がある。

図Cは、各形象の中心を基準にした縮小の例である。

従って仮に
1それぞれの形象が互いにくっついている
2それぞれの形象が時間に比例して縮小する
という規格を設けた場合、
3それぞれがくっつくように移動をする
という規格が規定されると言える。




吸放パターン
<パターンの分類>
形象及び形象間の距離や体積を主に減少させるパターンを吸収パターンと呼ぶ事にする。
形象及び形象間の距離や体積を主に増加させるパターンを放出パターンと呼ぶ事にする。
<形象の分類>
形象及び形象間の距離や体積を増加させる形象を放出形象と呼ぶ事にする。
形象及び形象間の距離や体積を減少させる形象を吸収形象と呼ぶ事にする。


<吸収形象(パターン)の分類>

吸消
吸った空間を消す事を吸消と呼ぶ事にする。
また吸消する規格を持つ形象を吸消形象と呼ぶ事にする。
ただし、本論では空間は消えたり増えたりする要素ではなく、形象間の距離を測る基準として扱うため、吸消は実際には空間が減るのではなく、形象間の距離や体積が減少する事を指す。

放消
放出した空間が消える事を放消と呼ぶ事にする。例えば形象の体積が減少したにも関わらず、形象間の距離が変わらない場合がこれに該当する。



変積パターンと吸放パターンの関係















質体
質量を持つと考えられる形象を質体と呼ぶ事にする。例えば大雑把に捉えれば物体は質体である。より細かく見るならその中で主に原子核が質体に該当する。

光速吸収・光速吸収モデル
自体を光速で移動させる事が出来る量の空間を吸収する事を光速吸収と呼ぶ事にする。
質量形象が、光速吸収の規格を持っていると考える事、及びその時に発生するパターンを光速吸収モデルと呼ぶ事にする。

E=mc2

光速度の限界


場の吸収量と電荷




2016年7月18日月曜日

変異と崩壊

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時空現象論とこの章の目的
これまで述べた「物理現象は形象パターンであり、時空さえあれば自動的に構成される」と説明する理論を時空現象論と呼ぶことにする。この章では時空現象論に矛盾がないかを検証する。また時空現象論の観点から物理現象や物理法則がなぜ我々が目撃している様になるのか、その蓋然性を追求する。

変異・物理変異
現実世界において物理法則を無視した形象パターンが観測される場合、これを変異、または物理変異と呼ぶ事にする。変異は議論を進める上での架空の現象である。夢や錯覚の様な、一見おかしいがよく考えると物理法則として説明できる様な体験は変異とはしない。従って我々は変異を体験しない。

崩壊・世界崩壊
 主観が自己に起きた異常事態を感じる間もなくその主観パターンが自己認識できない様な形象パターンに移行し、そこから回復もしない事を崩壊、または世界崩壊と呼ぶ事にする。例えばこれは本人が無自覚の間に死ぬ事である。またある主観における次の瞬間において、その主観が存続できず、派生世界になれない全ての時空パターンは、その主観にとって崩壊する世界だと言える。

派生世界の体験率
 ある主体のある瞬間に対し、次の瞬間として適合する派生世界が複数ある場合、ある特定の世界を体験する確率は、派生世界の総数の分だけ低くなる。つまり派生世界の数がNの場合、主体がある特定の派生世界を体験する確率は1÷Nとなる。

過去は存在するとは限らない
 主観にとっては過去が記憶として存在してる事と、実際に記憶通りの形象パターンがあったのか区別が付かない。

主観Pが分裂した場合どちらの宿主になるかは不定である
 メカニズムは不明だが形象パターンを丸ごと分裂させることができる装置があるとする。この装置によって主体を分裂させた場合、どちらも過去の記憶を引き継いでいるため、どちらの主体が元の主体の正当な宿主かといった区別はつかない。

派生世界の体験率が均等な理由
  主観Pの分裂と同じ事が派生世界の主体にも言える。時空Pにはどのような形象Pも存在するため、派生世界も形象Pとしては実在している。つまり派生世界は世界ごと主体を分裂させたのと同じである。従って特に条件を指定せずに同時に世界が分裂したと考える場合、どちらの世界に主体がいくかは不定となる。各々の世界で主体は自分だけが過去の継承者だと信じる事になる。 
 形象Pは移動や変形に関するコストを伴わずに、時間ごとにどんなパターンでも存在するため、常識ではあり得ない様な変化をする派生世界に移行する確率と、あまり変化しない世界へ移行する確率が違うとする事はできない。現象形象化説によると、物理法則に従って物理Pが決まるのではなく、存続可能な主観Pがあればいくらでも派生世界になれる事に留意する必要がある。

速度選択
主観Pのある瞬間において次の瞬間にどの様な形象Pが選択されるかは、知覚のサイクルが短いパターン程選ばれ易い。この傾向や、この傾向によってもたらされる結果を速度選択と呼ぶことにする。なぜ速度選択が成立するかと言うと、派生世界の体験率が均等だという事は時間当たりに主観パターンを沢山製造するパターンが採用され易い事を意味するからである。

多量選択
主観Pのある瞬間において次の瞬間にどの様な形象Pが選択されるかは、同一、または類似のパターンが多い程採用され易いと言える。この傾向や、この傾向がもたらす結果を多量選択と呼ぶ事にする。なぜ多量選択が成立するかと言うと、派生世界の体験率は均等なので、似たパターンが多いパターン程選択される確率が高くなるからである。


変異のパラドクス
派生世界の体験率が平等である話を主観の構造についてあまり吟味せずに受け入れると、我々の次の瞬間としていたるところで変異が起こるような気がしてしまう。例えば6面サイコロを振った時に1から6のどれかの目が出る確率はサイコロが宙に浮き続ける確率や、サイコロが爆発する確率と等しい事になってしまう。なぜなら主観Pさえ持続するなら外界にどの様な現象が起こるとしても派生世界として成立すると考えるのが時空現象論だからだ。
 実際には我々は変異を体験しないため、変異が起こるはずだという考え方はどこかに矛盾や見落としがあるか、あるいはそうじゃなければ時空現象論の方に矛盾がある事になる。

崩壊は許容されるが変異は許容されない
崩壊はいくら起こったところで当事者の主体には認識できず、派生世界の選択肢からは除外される。従って崩壊はどれだけ起こっていても不思議でない。実際、どのような時空Pでも存在する以上、瞬間瞬間に無限に近い崩壊パターンが発生している。例えば我々の脳がランダムな変形をすれば、即座に主観としての機能を失うため、崩壊する。
 一方、外界のみが物理法則を無視し、主観が壊れない場合は変異が認識されてしまう。
 どの様な形象パターンでも存在する時空において、なぜ我々が変異を目撃しないのかを考える事は、主観の構造や物理法則の由来を考察するための材料となる。

物理形象の原則
我々はどの様な形象でも定義する事ができる。例えば時間に比例して拡大や縮小をする形象や、周囲の空間を吸収したり放出する形象など、形象パターンで表現可能なあらゆる形象が定義可能である。ただし、それらが物理形象になり得るかどうかは、
・主観パターンを構成可能かどうか
・変異が起こらない理由を説明できるか?
によって評価される。
これを物理形象の原則と呼ぶことにする。

崩壊安定
変異が崩壊によって防がれる事やその状況を崩壊安定と呼ぶ事にする。
例えば地球が我々に認識できない様な一瞬で爆発する様な変異は、その様な未来が我々に観測されない以上、世界の自動選択の対象にはならない。これが変異が崩壊によって防がれる崩壊安定の一例である。


2016年5月29日日曜日

心理的な背景


なぜこの世界が存在するのか?


と疑問に思った事はありませんか?
私は子供の頃、これを深く考えるよりも先に
昔の人の次の様な意味の言葉を知って一旦は納得しました。

「世界がどの様に存在しているかは分かっても

世界がなぜ存在するかは分からない」


つまり世界がどの様になっているかは
物理現象や物理法則として説明できるとしても
世界それ自体、つまり物理現象や物理法則自体が
なぜ存在するのかは説明のしようがないと思いました。

しかし私が大人になって改めて色々な事を考えていると
この疑問に戻ってきてしまう様に感じられました。

それについて考える方法の一つとして
物理学の詳細を勉強してみようと
思う事もあったのですが、
それより先に次の様な事を考えてしまうのでした。

仮に宇宙の始まりが分かったとして、
その始まりの前は何があったのか?
それが物理法則や物理現象から推測される事象だとして、
ではなぜ物理法則や物理現象が存在するのか?
仮に統一理論が完成したとして
なぜこの世界にその様な理論が存在するのか?

そして色々考えた結果
世界に何か理由や偏りの様な物が存在していては
なぜその様な理由や偏りが存在するのかが分からない
ため、

仮に世界の存在理由を説明できる様な
理論があるとすれば、それは前提としては
何の要素も必用としない理論になる
と思う様になりました。

例えば世界が作られるのに物理法則が必要であり
それはもう前提として認めるしかないと言うなら
その時点でなぜ世界に物理法則が存在するのか
という部分の説明は諦めた事になります。

また物理現象を作るには物質やエネルギーが必要で
それはもう前提として認めるしないと言うなら
その時点でなぜ世界にそれらの要素が存在するのかは
説明を諦めている事になります。

つまり、あらゆる前提条件や偏りなどの
要素を必要としない理論の方が
世界の存在理由に迫れると思ったのです。


ところでニュートンやガリレオと同様に
初期の物理学の形成に貢献したデカルトは

「われ思う故に我あり」
という言葉を残した事でも有名です。

世界を観察している自分の主観は
絶対に存在していると言えるため、
主観の存在は否定のしようがないという意味です。

しかしながら主観は物理現象の結果として
発生しているはずなので、
物理現象がなぜ存在するのかを説明できれば
主観が発生する由来は一応は説明される事になるでしょう。

主観が観測する物理現象が実は
世界の実体とかけ離れている…
という可能性もあるにはあるのですが、
仮にそうだとしても我々は科学的な検証が
可能だと思われている事象を物理現象と呼び、
それを対象に分析を進めるしかありません。


一方、私が物理現象を考察する上で
どうしても否定できない事象がありました。
それは時間と空間です。

この時点で
「仮に世界の存在理由を説明できる様な
理論があるとすれば、それは前提としては
何の要素も必用としない理論になる」
という理想からは外れてしまう分けですが、
そもそも存在するという概念は
時間と空間がなければ成立しない気がするので
これは仕方がない事と言えるかも知れません。

また、時間と空間はなぜ存在するのか?
という問いは時間と空間が存在しないという状態を
定義できない以上は不完全な問いだと考える事も出来ます。

この様な経緯があって
私は時間と空間だけは前提として
存在している事を認めつつ、
またそれだけを前提として
物理現象が形成される可能性がある事を
説明する時空現象論を作りました。


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2016年5月27日金曜日

掲示板

このページのコメントを利用して「時空現象論全体」の掲示板としてご利用ください。ただし書き込みに対する扱いは私に一任してください。つまり削除するかもしれないし、読まない可能性もあります。

4章 別世界

本世界と別世界

時空には無数に形象パターンが存在するので、主観が発生可能な形象パターンは一つではないはずだ。つまり我々が体験しているこの世界の他にも無数の世界があるはずだ。ある主体にとっての世界をその主体における本世界と呼び、それ以外の世界をその主体における別世界と呼ぶ事にする。なお、本世界の主体は別世界の物理パターンと干渉する事は出来ない。仮に干渉出来るならその物理パターンは本世界の物理パターンに該当すると考えるべきである。この論文は以下に示す様に「主同世界」、「派生世界」、「異世界」の3種類の別世界を定義する。なおこの内、派生世界だけは別世界だけでなく本世界を指す事も出来る様に定義した。

主同世界

主観的な体験が本世界と同じにも関わらず、物理パターンの一部または全部が本世界と一致しない世界を主同世界と呼ぶ事にする。我々は形象パターンを比によって解釈するため、物理パターンの全体を変化させた場合に元の世界と主観的な体験が同じだという事があり得る。例えば世界全体の形象を等しく同時に平行移動させたり拡大・縮小・回転させても誰もそれに気が付かないはずだ。また一定時間、全ての動きを止めた世界と元の世界の主観的な体験は同じになる。また主観が成立しない形象パターンを主観は認識しないため、主観と無関係な形象パターンが一定時間、空間全体に渡って挿入されている場合も、主観的な体験が同じ世界が成立するはずだ。また、過去が主体の記憶としてのみ存在する場合と実際に過去の形象パターンが存在する場合の区別も付かないはずである。

派生世界

ある世界の続きとみなせる世界を派生世界と呼ぶ事にする。世界のある時点における物理形象が主観を維持したまま次の瞬間にとり得る形象パターンは一通りとは限らないので無数の派生世界が存在し得る。

異世界

物理法則や実際に起こる現象が本世界と根本的に異なる世界を異世界と呼ぶ事にする。


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3章 主観と世界

時空形象・時空パターン及び物理形象・物理パターンと世界

時空に含まれている形象や形象パターンを時空形象や時空パターンと呼ぶ事にする。2章で述べた様に時空にはあらゆる形象パターンが含まれているので、時空にはあらゆる時空パターンが含まれていると言える。
 また、物理現象を構成する形象や形象パターンを物理形象や物理パターンと呼ぶ事にする。なお、物理形象や物理パターンは時空に含まれているので時空形象や時空パターンの一種である。
 ところでこの論文にはしばしば世界と言う単語が出てくるが、それは一般的な解釈の通りこの世界や宇宙と言う意味で捉えて問題ない。また世界は物理現象の総体で出来ていると考えられるので現象形象仮説が正しい場合は世界は物理パターンの総体だと定義する事も出来る。

主観(知覚)形象・主観(知覚)パターン・及び外部形象・外部パターン

科学的に考えるなら物理現象を再現する事で我々の体や脳、そして意識や主観も再現可能なはずである。従って現象形象仮説が正しい場合、形象パターンによって主観の再現が可能なはずである。主観の構成に関係する形象や形象パターンを主観形象や主観パターン、または知覚形象や知覚パターンと呼ぶ事にする。
 また、物理形象や物理パターンのうち、主観形象や主観パターン以外の形象や形象パターンを外部形象や外部パターンと呼ぶことにする。一般的に考えられている自分以外の全て、外界や環境がこれに相当する。

物理現象は主観に依存して解釈される

無数に存在する時空パターンの中のどの部分が物理パターンなのかは、主観的判断に依存する。なぜなら何らかの解釈をしない限りは時空には均一な空間と時間が広がっているだけだからだ。

主観パターンの自動選択・世界の自動選択

時空には無数の時空パターンが含まれているが、このうち主観パターンを含む形象パターンだけが物理パターンになる。これを主観パターンの自動選択、または世界の自動選択、あるいは単に選択と言う表現をする事にする。またこれが時空パターンの一部だけが物理現象になるメカニズムだと言える。
 例としてある瞬間の主観パターンが次の瞬間にどうなるかを考えてみよう。次の瞬間にも時空には無数の時空形象がある。そして次の瞬間は時間が経つ事により自動的にやってくる。そのため、無数の時空形象が主観パターンの続きになれるかどうか試される状況があると言える。そして主観が維持できる形象パターンだけが主観パターンの続きを構成する事になる。そして主観が維持されない形象パターンは基本的に主観に認識されないため、その主観にとっては元々存在していない事と同じになる。
 なおこの時、主観が維持できる形象パターンが複数あるなら主観パターンや物理パターンが複数発生し、世界が分裂していくと言える。

なぜ物理法則があるか

これまで物理現象が形象パターンで表せる事は述べたが、なぜそれらの形象パターンが理論化出来る様な規則性を持っているのかは説明しなかった。ここではこれを「主観が規則を必要とする」事と「観測が規則を必要とする」として説明する。

主観が規則を必要とする

主観が成立するには複雑な制御機能が必要であり、それは規則性がなければ成立し得ない。例えば今この世界において物理法則を無視して形象がランダムに変化した場合、我々の脳もランダムに変化する事になるので主観は維持されないはずだ。従って様々な時空パターンがある中、規則性のある形象パターンだけが主観パターンとして自動選択の対象になる。

観測が規則を必要とする

主観が存在するだけでは世界は認識されない。主観が観測をしないと世界が認識されない。つまり主観パターンは観測のパターンを含んでいる必要がある。そして観測が成立するには前提や規則が必要になる。例えば観測は何かと何かを比べる事で成立するため、主体、客体、比較対象の3つ以上の形象が必要である。またそれぞれの形象が仮にランダムな変形をしていては何がどう変わったのか測定できないため、それぞれの形象が規則性を持つ必要がある。この様に観測が成立するために規則が必要な事が主観パターンが規則性を持つ一因だと言える。

精密で絶対的な物理法則が存在するとは限らない

完全に精密に守られる物理法則や、全てを説明できる物理法則は必ずしも存在するとは限らない。なぜならこれまで議論してきた内容が正しいなら時空に物理現象が含まれているかどうかは時空に主観パターンが含まれるかどうかに依存する。つまり主観さえ発生して世界を認識してしまえばその主観にとっての世界は存在するのであり、その時に物理法則がおかしいからこれは世界ではないと主張するのは筋が通らないからだ。
 逆に言えばどの様な条件なら主観が構成されるのかを考える事は、物理現象や物理法則について考える際の新しい視点になり得るだろう。


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2章 時空と形象パターン

空間と時間は無限に存在する

我々は空間が存在しないという状態を想定する事が出来ない。例えば「空間がない」と言った場合どこに空間がないのだろうか?そのどこが指定出来るならその部分に空間はあるのである。よって空間はどこにでもあると言える。また、どこにでもあると言う事は無限の彼方まで存在する事を意味する。
 また、我々は時間が止まる事を想定出来ない。止まった時間が存在するには前後の時間も必要になるからだ。よって、時間も無限に存在すると言える。
 

空間にはあらゆる形象が含まれている

空間は至る所が位置である。そして位置は形象の点と同義なので空間の至る所に点の形象が含まれていると言える。また、どの様な線も面も立体領域も空間に含まれている。従って空間にはあらゆる形象がどこにでも含まれている。

時空にはあらゆる形象パターンが含まれている

空間にはあらゆる形象が含まれていると述べたが、これは時間の流れを考慮しても同じである。つまり時間の流れにおけるどの瞬間の空間にも、あらゆる形象が含まれている。
 また、あらゆる形象の変化は、ある瞬間の形象が別の瞬間に変わる事やその繰り返しによって構成されている。そして空間のどの瞬間のどの場所にどの様な形象も存在する事は、空間中のある形象が次の瞬間にどの様な変化をするパターンも存在する事を意味する。従って時空にはあらゆる形象パターンが含まれていると言える。

形象は他の形象を否定しない

形象は媒体の種類や有無を問わない。また形象は空間さえあれば成立する。この様な形象の定義からは、ある形象の存在が別の形象を否定する性質は導かれない。つまり、特別なルールを設けない限り、ある形象や形象パターンがあるからと言って別の形象や形象パターンがない事にはならない。
 例えばある領域を保有する形象Aの内部に別の領域を保有する形象Bがあるとする。この時、AもBも両方同時に存在する事が可能である。BがAの内部に埋もれているからと言ってBが存在できないという事にはならない。
 ところで同じ領域に完全に重なる複数の形象が存在する状況は一つの形象だけがあるのと区別がつかない。この場合、一つしか形象がないと考えるか複数の形象が重なっていると考えるかは解釈の自由があると言える。

時空の中に物理現象が含まれている可能性がある

時空の中にどの様な形象パターンも含まれている事は、現象形象仮説が正しい場合、その中の一部の形象パターンは物理現象を構成する形象パターンと一致する事を意味する。つまり現象形象仮説が正しい場合、時空さえあればその中に物理現象が含まれている事になる。

媒体の概念は形象パターンによって作られる 

物理現象は形象パターンで出来ていると述べた。しかし物理現象として形あるものが存在するためにはまずその形を構成するための媒体や物体や実体と言った空間以外の要素が必要だとは思わなかっただろうか?だがそういった概念も形象パターンで構成されていると考えられる。
 例えば物体と物体は触れたら反発するので物体同士が互いにめり込む事はない。我々はこういった現象から物体は周囲の空間とは違って媒体や実体のある形象だと思いがちである。しかし物体同士が反発するという現象は形象パターンに他ならない。この様に媒体や実体とは何なのかを考えていくとそれが形象パターン以外の何かである根拠は得られないはずだ。従って物理現象は表現上の話として形象パターンで表せるだけではなく、本当に単なる時空に含まれている形象パターンの一部が物理現象を構成している可能性がある。

媒体の種類は形象パターンによって分類される

これはやや1章の現象形象仮説の説明の繰り返しの様な話となるが、媒体の全体的な概念が形象パターンで表せるのと同様に、媒体の種類や性質も形象パターンによって表せる。具体的に言うと媒体の種類とは物質や粒子の種類の事であり、それらは質量や電荷や力等の性質によって分類される。そしてこれらの性質は形象の速度や進路で判断される。つまり種類や性質の情報は形象パターンに含まれている。


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1章 現象形象仮説

形象

大雑把に言って形の事を形象と呼ぶ事にする。厳密な形象の定義は単数、または複数の点・線・面・立体領域のいずれか、あるいはこれらの複合とする。なお、ここで挙げた点は位置だけを持ち、体積を持たないものとする。また形象の条件として媒体の有無や種類は問わない事とする。例えば物質が持つ形も形象だし、真空中の任意の領域も形象である。

形象パターン(形象P)

大雑把に言って形象の状態やその変化を形象パターンと呼ぶ事にする。厳密な形象パターンの定義は形象が空間的、及び時間的に作るパターンとする。例えば形象が空間に1つだけ存在するのも形象パターンだし、複数の形象が分布している場合も形象パターンである。また形象が静止している場合も、動き続けている場合も形象パターンである。また形象が発生、消滅、分裂、変形するのも形象パターンである。
 ところで形象において、時間の流れを考えれば形象パターンだと言う事ができ、また形象パターンは時間の流れを考慮しなければ形象だと言う事が出来る。つまり両者は近い概念なのでこれらの用語を使う際には必ずしも厳密な区別を伴わない。
 また、この論文では語尾にパターンが付く用語がこれ以外にも複数登場する。これらの用語は表現を簡潔にするため、パターンの部分をPとだけ書く場合がある。例えば形象パターンは形象Pと記す場合がある。

無形事象

ある事象が形象や形象パターン以外の存在であると解釈できる場合、その事象を無形事象と呼ぶ事にする。例えば力や質量やエネルギーはそれ自体は形象ではないので無形事象である。

現象形象仮説

ここで「全ての物理現象は形象パターンだけで構成されている」という仮説を提示する。そしてこの仮説を現象形象仮説と呼ぶ事にする。
この仮説は簡単に言うと次の様に肯定できる。まず物質や粒子の位置や形や動き等はそのまま形象パターンで表せる。そして力や質量やエネルギーや音や色や匂い等の無形事象も、それらと関わる物質や粒子の形象パターンを再現した場合に再現されるはずである。従って全ての物理現象は形象パターンだけで構成されている可能性がある。

現象形象仮説は理論と無関係に成立し得る

現象形象仮説は物理現象に関する仮説であって物理法則に関する仮説ではないので、理論的な話を一切無視した場合でも成立可能である。例えば物質が動いた時、なぜ動いたのか理由が分からない場合でもその時の物質の動きが形象パターンで表せるなら、その時の現象は形象パターンで構成されていると言える。
 つまりこの世界にどの様な物理法則が存在しているかに関わらず確認可能な現象が形象パターンだけなら現象形象仮説は正しい可能性がある。

素粒子と力による現象形象仮説の説明

現在普及している科学的な考え方によると複雑な物理現象も分解していくと素粒子と力だけで構成されていると解釈できる。そして素粒子は仮に体積があれば立体領域の形象であり、体積がなければ点の形象に該当する。いずれにせよ素粒子は形象で表せる。そして力は素粒子を表す形象やその変化によってのみ存在を確認できる。言い換えれば力は形象パターンによってのみ存在を確認できる。これは特定の形象パターンを再現する事と力が実在する事の区別が付かない事を意味する。つまり力は特定の形象パターンに関する概念や理論であって現象とみなす必要がない可能性がある。従って物理現象は形象パターンだけで構成されている可能性がある。
 なお、この時点で読者は素粒子が形象で表せる事と素粒子が実在する事は違うのではないかと思うかもしれない。これについては2章において「媒体の概念は形象パターンで作られる」という風に説明する。

現象形象仮説は反証可能か?

現象形象仮説を否定するには無形事象が理論ではなく現象として存在する事を証明しなくてはならない。

形象パターンをコピーする思考実験

現象形象仮説を検証するために次の様な思考実験をしてみよう。仮に世界を構成する全ての形象パターンをどこか別の世界にコピーできたとする。この時コピーするのは形象パターンだけで力や質量やエネルギー等の無形事象はコピーしないものとする。
 そうすると無形事象をコピーしなかったにも関わらずコピー先の世界でも無形事象が再現される。なぜなら全ての形象パターンが同じ世界では力や質量やエネルギー等の無形事象も同じと見なす他ないからだ。例えばリンゴが落ちる様な形象パターンを再現した場合、その動きを我々が引力が働いていると解釈する。
 この様に形象パターンだけを再現しただけであらゆる現象が同じ様に再現されるならば、物理現象が形象パターンだけで構成されている可能性がある事になる。

 我々が観察している物理現象が全て幾何的な変動に過ぎないため、現象としては幾何的な変動=形象パターンだけが存在していると解釈する事ができる。


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2016年5月26日木曜日

旧 トップページ

引っ越しました。

時空現象論の新しいトップページは
こちら のリンクへどうぞ
  ーーーーーーーーー
以下は少し記述やリンクが古い
2018年バージョンとなります。

ここでは時空現象論を公開しています。
簡単に言えば

「時間と空間さえあれば物理現象が自動的に構成される可能性がある」

という話をします。


まだ書き途中なので
過去に書いた内容も予告なく変更したりしてます。

  序

時空現象論とは何か


 1章 現象形象仮説

現象形象仮説

素粒子と形のパターン

有形と無形そして現象と理論

世界の全ての有形を再現する実験

形と神秘

媒体と空体

空体パターン

時空の歪み

媒体の性質は空体で再現できる

媒体は空体の一種か


 2章 自動選択

物理法則の存在理由

知覚と外部と外界と世界

自動選択とターン

変異と崩壊と全壊

規格

多量選択


この論文が何を目的として作られたのか、そのあらましは
[時空現象論を作成した理由]をご覧ください。




以下は2016年に作成した内容です。
表現が硬いです。


目次

序章  概要と構成

1章  現象形象仮説

1-1   形象
1-2   形象パターン
1-3   無形事象
1-4   現象形象仮説
1-5   現象形象仮説は理論と無関係に成立し得る
1-6   素粒子と力による現象形象仮説の肯定
1-7   現象形象仮説は証明も反証も困難である
1-8   形象パターンをコピーする思考実験

2章 時空と形象パターン

2-1   空間と時間は無限に存在する
2-2   空間にはあらゆる形象が含まれている
2-3   時空にはあらゆる形象パターンが含まれている
2-4   形象は他の形象を否定しない
2-5   時空の中に物理現象が含まれている可能性がある
2-6   媒体の概念は形象パターンによって作られる
2-7   媒体の種類は形象パターンによって分類される

3章 主観と世界

3-1   時空形象・時空パターン及び物理形象・物理パターンと世界
3-2   主観(知覚)形象・主観(知覚)パターン及び外部形象・外部パターン
3-3   物理現象は主観に依存して解釈される
3-4   主観パターンの自動選択
3-5   なぜ物理法則があるか
3-6   主観が規則を必要とする
3-7   観測が規則を必要とする
3-8   精密で絶対的な物理法則が存在するとは限らない

4章 別世界

4-1   本世界と別世界
4-2   主同世界
4-3   派生世界
4-4   異世界

時空現象論は今のところ以上ですが
今後も地味に修正される可能性があります。
また
現在じわじわと5章以降を作成しています。
作成中の記述はラフだしガラリと変更する可能性があります。
気長にお待ちください。
(…半年後ぐらいには完成させたい…と昔から思ってる。)


5章 変異と崩壊(作成中)

6章 規格(作成中)


回路(作成中) 

吸放パターン(作成中)





初公開日は2016年5月27日です。

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序章 概要と構成

概要


 科学はこの世界にどの様な現象や法則があるかを明らかにしてきたが、世界そのものがなぜ存在するのかを説明する統一的な見解はいまだない。
 なぜ世界の根源的な存在理由を説明する事が難しいかと言うと、理論に前提があればその前提がなぜあるのかが説明できないからだと言える。例えば世界の存在理由を素粒子と力を前提として説明した場合、素粒子と力がなぜあるのかは説明されない事になる。あるいは真空のエネルギーを前提として理論を組み立てた場合、なぜ真空にエネルギーが存在するのかは説明されない事になる。
 そこでこの論文では時間と空間だけを前提として世界と物理現象、そして物理法則が発生する理由を説明する。

構成


1章にてあらゆる物理現象は形のパターンとして構成されているという現象形象仮説を提唱する。
2章にて時間と空間はあらゆる形のパターンを含んでいる事を指摘する。またこれにより時間と空間さえあればその中に物理現象が含まれている可能性があるという論理が成立する事を説明する。
3章にて物理現象が成立するには主観が必要だという事を説明する。また物理現象が時空から自動的に選択されるメカニズムを説明する。また物理法則がなぜ存在するのかを説明する。
4章にて時空の中にこの世界以外の世界が含まれている可能性がある事を説明する。



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