2018年12月27日木曜日

質量と抵抗と万有引力

物理法則の重要な概念に質量
というものがあります。
目新しい話ではありませんが
確認しておきます。



質量は簡単に言えば物質の重さの事です。
もう少し丁寧に説明するとその作用は
抵抗万有引力
に分けられます。

このうち
抵抗とは物の動き難さの事です。

重い物軽い物を同じ力で押すと
重い物は軽い物に比べて速度が出ません


それを抵抗(質量)に違いがあるからだと考えます。


ところで重い物と言うのは物質が沢山集まった状態
だったりします。


じゃぁ質量とは物質の量とイコールなのかと言うと
ある程度はそう言う考え方が出来ます。
例えばなら同じ体積でも鉄の方が重いですが
そうした重い物質とは重さの元となる粒子が
沢山集まっている(密度が高い)状態なのだと
言えます。

ただし素粒子の様な細かいスケール
における質量を考える場合は
粒子をそれ以上細かく分解できないので
「物質(粒子)の数や量が多いから重い」と言うより
「物質(粒子)の性質として重い」という表現の方が
あてはめ易くなってきます。

ところで
質量には力に対する抵抗があると述べましたが
抵抗が発生するのは新たに加えられる力に対してであり
既に加えられた力に対してではありません。

この事は
質量が大きい程、慣性を維持する能力が高い
という事を意味しています。


これをイメージするには
物体同士が乱雑に飛び交う様な
状況を想像すると良いでしょう。

その様な状況では質量が大きい程
衝突されても抵抗によって
その影響を抑えられるため
同じ動きを続けていられる可能性が高い
事になります。




次は質量が持つ万有引力(重力)を確認します。
物体には質量に比例して他の物体を引く力
存在すると考えられており、これを万有引力と言います。


物体同士を結びつける力には他に 
核力電磁気力がありますが、それらに比べて
万有引力はとても弱く
地球や月や大気などの巨大な構造はさておき
日常スケールの物体同士が引かれ合う様子は
特殊な実験なしには観察できません。

しかし万有引力は質量を持つ全ての物質同士に働くため
物質は引くだけじゃなく同時に色んな物質に
引っ張られている事になります。



電磁気力や核力が主に物質内部や
その近辺に現れるのに対し
万有引力はプラス、マイナスなどの電荷に関わらず
質量さえあれば全部引っ張るみたいな感じなので
弱い力と言えど宇宙規模の構造を作る事に
貢献しているのだと思われます。

大雑把に言うと万有引力は
世界全体の形のパターンを安定させる役割を
果たしていると考えても良いかも知れません。



例えば天体同士は重力と慣性のバランスとして
公転パターンを生み出していると言われますし
一つの天体に目を向けた場合も
重力がなければ何かの拍子で巻き上がった
物質が地表へ戻る保障がないので
世界はもっと混沌としたものになるでしょう。



また細かいスケールで見た場合は
質量が持つ抵抗としての性質
電磁気力や核力と関係し、
ミクロの世界のあり方を大きく規定しています。



質量をもつ物質と言えば大体
陽子中性子電子でできており
これらは電磁気力や核力の源なのだから
質量は万有引力よりも相当に大きな
力を秘めている、全ての力の中心的な
存在だと考える事も出来るでしょう。

従って 自動選択を考える時は
前回の慣性の法則と似た事が言えます。
つまり
質量の大きい場所というのは
慣性の法則が守られる割合が高い場所
慣性系の維持に貢献している場所
形のパターンの中心になっている場所

形のパターンを規定する能力が高い場所
等の事なので
そういう場所を変えてしまっては
世界が崩壊する可能性が増すので
質量の大きい場所は益々
質量が大きくて
同じパターンを続ける確率の高い場所
であり続けるのだと思われます。



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慣性の法則


目新しい内容ではありませんが
今回は物理の基本とも言える
慣性の法則を確認します。

物体は何らかの作用が加わらない限りは

現在の位置、向き、速度などの移動状態を

未来においても持続させます。


例えば地上で何か投げても
空気や地面との摩擦によってやがて止まりますが
仮に何の作用も発生しない空間を用意できれば
その中の物体は永遠に同じ方向に同じ速度で
移動を続けると考えられます。

また、今静止している物体は
次の瞬間も恐らく静止しているでしょうが
これも慣性の法則によるものだと言えます。


慣性の法則は未来を予測可能にする

最も単純な法則だと言えるでしょう。

なぜ我々の世界に慣性の法則が存在するのかと言うと、
むしろ色々な力に取り囲まれた世界において
それらの力を排除した場合には何も変化がない事にし、
これを慣性状態と呼ぶ事にした…
みたいな側面もあると言えるでしょう。

つまり何が力による影響で、
何が力の作用がない基本状態なのか
その区別を付ける際に生まれるのが慣性
だという考え方も出来る分けです。

また時空現象論としては
「世界や知覚パターンは精巧に作られているため、
自動選択で滅茶苦茶な形のパターンを選択するよりは
前のターンと似たパターンを持続させた方が
崩壊しない可能性が高い」
という理由で
慣性が成立しているのだと
考える事も出来ます。

ただしこの考え方は大雑把なものです。

2018年11月10日土曜日

世界の確率的な分岐

移動に最小単位があるなら
その中間に移動させる様な力が加わった場合は
どうなるのでしょうか?

 

結果は確率的に分かれます。


また単に確率によって未来が分岐するだけでなく
分岐ごとに世界自体が分裂して
増えて行くという解釈があります。
これを多世界解釈と呼びます。
   

多世界解釈の考え方は
時空現象論における多量選択の考え方と似ています。

そこで今度は時空現象論の立場からプランク定数や
確率的な振る舞いを説明してみましょう。


まずプランク定数について考察すると
次の様な予測ができます。

「時空は本来どの様な形のパターンをとる事も可能だが
プランク定数に従った動きをしないと知覚が崩壊するので
結果的にプランク定数と言う規格が成立している。」


我々の体は原子から成っているので
これがバランスを崩せば知覚は成り立ちません。


また物質の確率的な振る舞いについては次の様に考えられます。

プランク定数を含め全ての物理法則に従う
パターンが複数ある場合は
どれも世界として成立して派生世界が増加するが
我々が体験可能なのは一つの世界だけなので
世界は多量選択に従って確率的な分岐をする。


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2018年11月9日金曜日

プランク定数と移動の単位

昔は物の移動はどこまでも切れ目なく行われる
と思われていたでしょうが
20世紀に確立された量子力学によると
そうではない事が明らかになりました。

例えば

上の図はリンゴが落下している様子を
時間1と時間2の2つの瞬間に分けて描いたものです。
この時、図には描いていませんが
時間1と時間2の間には当然
時間1.5とでも呼べる様な中間の時間が存在し、
そしてその時リンゴは時間1と時間2における位置
間のどこかにあると想像できます。

この様に物の移動はどこまでも細分化して分析できる
現象だという気がします。

ところがこの考え方は現実の物の移動の仕方を
完全には反映していない事が分かってきました。

替わりに明らかになったのは
物質はプランク定数の整数倍の運動量しか持てない
という事です。

これを簡単に説明すると
物質は切れ目のない滑らかな移動をしているのではなく
特定の最小単位を持つデジタルな移動をしている
という感じです。

例えるなら動画やゲーム等の画面が
絵や映像を滑らかに表現できている様に見えても
よく見るとピクセルやドットと呼ばれる様な色素の単位が
存在している事と似ています。


(ただしこの移動制限は
原子や分子などの相当に細かいスケールの
実験や考察から導かれる事であって
リンゴの落下を見れば分かる様な
話ではありません。)

物の大きさに関しては昔から原子の様な
最小の単位がある事を考察する人がいましたが
物の移動に関してもこの様な制限がある事は
1900年頃から徐々に理解され始めました。


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2018年8月20日月曜日

吸放量と距離2乗

今回は吸放パターンにおける距離的な作用
について考ます。

吸放量が周囲と比較して多い場所があれば
そこを中心として拡大や縮小が起こる道理ですが…



その際、原則として
吸放による周囲への影響は
距離の二乗に比例して小さくなります。

どういう事なのか?
なぜそうなるのかを
まず2次元の場合から考えてみましょう。



上の図の中心にある丸●
ここら一帯の中で一番吸収率の高い場所であり、
周りの丸〇はどれも同じ体積の空間
表しているとします。

この状況はビリヤードっぽいものに例えると
分かり易いかも知れません。
ただしビリヤードの台と違い、中心に
一度にボールが一個だけ通過できる穴を開け、
その周りに沢山のボールを配置し、
そして全てのボールを 
なるべく速くその穴へ落とそうとする
状況を想像してください。

そうするとまず
穴の近くにある1~6のどれかが
落ちる事になります。

それと同時に外側1~12のどれかが
内側に出来た空きへ移動します。

これは内側にあるボールにしてみれば
確率6分の1で移動できるのに
外側にあるボールは確率12分の1でしか
移動できない事を意味します。

簡単に言うなら
穴の近くのボールはガンガン吸われるのに
距離が遠い場所にあるボールは
ライバルが多すぎて
なかなか移動できない訳です。

半径に従ってライバルの数がどう増えるかの
計算方法は一般的に簡単であり、

円周に比例します。

ここでは円の面積を求める必要はなく、
同心円状にボールを何個配置できるか
分かれば良い訳です。


さて、今のは2次元の例でしたが
3次元で考える場合は

玉ねぎの様に内部に層がある球
を想像すると良いでしょう。

この場合
一つの層に何個のボールを配置できるか
その層の表面積に依存します。

表面積は距離(半径)の二乗に比例するので
3次元空間におけるボールのライバルも
距離の二乗に比例して増える事になります。

それゆえ原則として、つまり他に条件を
指定しない場合の吸放パターンは
吸放体からの距離の二乗に比例して
吸放率の影響が減衰すると考える事が出来ます。

物理法則と距離2乗

我々の世界では
万有引力や電磁気力の様に
距離の2乗に比例して
その影響が弱くなる力が存在します。

距離にそのまま比例するのではなく
距離の2乗に比例なので
その変化は急激です。

例えば磁石と磁石を近づけると
距離に比例して徐々にという感じではなく
ある程度まで近づけると急に
力を感じたりすると思います。

こうした距離の2乗に関係する作用と言うのは
どの様な原理で生じるのかと言うと
何だかそれ自体が原理っぽいので
とにかく我々は受け入れるしかない…
と言うのが主要な解釈だと思います。

ただしそれを視覚的に理解する際に
力の線が放射状に伸びるイメージがしばしば使われます。

  
上の図は左の黒い物体から
力の線を分散して
右の物体に当てる様子を描いたものです。

距離1にある物体は距離2にある物体に比べて
およそ2倍の線が当たっているのが確認できます。

これが2次元の世界における放射状に分散される
力のイメージです。

要するに元の力=距離0の物体が持つ力が
最大であり、それを空間に分散させるために
遠くでは力の影響が減っていくイメージです。


これを3次元で考えると


至近距離では一つだった力
3次元空間に分散されていくので
距離に比例どころではなく、
距離の2乗に比例して
影響が減っていく事になります。

吸放バランス

吸放パターンは次の様な規格
守る形のパターンだと言えます。

「空間は吸収されると縮小し、
放出されると拡大する」


なお、吸収放出を行うのは
媒体だけでなく空間でも構いません。

この規格は単純な引き算足し算であり、
次の式にまとめられます。

放出量 - 吸収量 = 空間の増加量

この式や概念をバランスの式とか
吸放バランス などと呼ぶ事にします。


例えば…

上の図の丸は吸収体を表すとします。

吸収体Aの周囲の矢印は
Aが周囲の空間を吸収している
事を表しています。

さてここで、
A以外の全ての吸収体も
A同様に周囲の空間を吸っている
場合どうなるか
考えてみましょう。

その場合、空間がただ吸われるだけなら
吸収体同士の間隔は縮んでいくでしょう。

つまり
吸放バランスの式
放出量 - 吸収量 = 空間の増加量
において
吸収量の方が放出量より多ければ
空間の増加量マイナスとなり
空間の量が減少する訳です。


一方、空間が吸収量と同じだけ
放出していればプラスマイナスゼロ
現状維持が期待できる事になります。


では次の場合はどうでしょう?

現状維持が続いている時に
突然Aが吸収をやめたとします。

この場合、Aが吸収をやめた分、
吸放バランスは放出へ傾く事になります。
その際、今までAに吸われていた空間が
行き場を失い、あたかもAが放出体に
なったかの様に空間の拡大が始まるでしょう。


吸放バランスは全体として見ると単純ですが
空間中のどこの場所でどの様に吸放が行われるか等、
細部の流れを考える事によって
複雑なパターンを想定する事が出来ます。

2018年8月3日金曜日

媒体・吸収・放出・吸放

物理法則が変異不可能な理由が分かれば
複数の物理法則が自動選択の原理を核として
統一的に説明される事になります。

この章では吸収パターンという考え方によって
物理法則が変異不可能な理由を説明していきます。

ざっくり言うと

・媒体は時間に従って空間を拡大させたり縮小させたりする
・拡大と縮小のバランスによって世界の構造が作られる

みたいな話です。
ー----------
媒体という言葉が出てきましたが
今後、物理現象を構成する形を指す言葉として
しばしばこの用語を使っていく事とします。

単なる形と言うと仮想上の形も含まれますが
媒体と言えば物理現象に関わる形となります。
つまり物質と同じ様な意味です。
ーーーーーーーーーーー

時空現象論としては
事実として空間が拡大や縮小をするかどうかは
問題にしません。
形のパターンとして空間が拡大している様に見える事と
実際に空間が拡大している事の区別は
本質的に付かないからです。



そこで媒体同士が時間に従って離れていくなど
形として空間が拡大している様なら
空間が拡大しているとか
または空間が放出されている等と
表現しても良い事にします。

逆に媒体同士が接近するなど、形として
空間が縮小している様なら
空間が縮小しているとか吸収されている
等と表現する事にします。

また空間の縮小が
何かしらの媒体の存在が原因となって
発生している様に見える場合、
媒体が空間を吸収している等と表現する事にします。
そして吸収を行う媒体を吸収体と呼んだりします。

逆に空間を放出している様に見える媒体がある場合
その媒体を放出体と呼んだりします。


例えば上の図では
青い丸が吸収も放出もせず
ただ空間の流れを表す媒体だとすると、
黒丸は吸収体で
白丸が放出体を表すと解釈できます。


また主に吸収体によって作られる形のパターンを
吸収パターン
主に放出体によって作られる形のパターンを
放出パターンと呼ぶ事にします。

また吸収と放出の区別を明確にしない、
あるいは両方の概念をまとめて指したい場合は
吸放という用語を使う事にします。

例えば吸放体と言えば
吸収体と放出体のどちらも、あるいはどちらかという意味です。
ただし単に媒体という言葉を用いるだけでも
それは吸収体の可能性も放出体の可能性も持つ事になります。

また吸収パターンは放出パターンを
含んでいたりするんで
両方を表せる吸放パターンと言う言葉を使うのが
無難な事もありますが
特に区別が必要でない時は
単に吸収パターンと言う言葉を用いて
吸収パターンと放出パターンの両方を
指しても良いと言う事にします。

2018年5月17日木曜日

変異不可能な規格

知覚者が存在しない世界は
誰の世界にも成り得ないので
自動選択にて崩壊が選ばれない事は保証されています。



しかし変異が起きないのはなぜでしょう?

時空にはどの様な形のパターンでも存在するのだから
知覚者の知覚が維持される範囲でなら変異が起こる
パターンが選択されても不思議でない気がします。

例えば重力を無視して周囲の物質が浮き上がるとか、
あるいは物質の瞬間移動だとか
そういう事は形のパターンとしてはあり得る気がします。
そして形のパターンさえ成立してしまえば
物理現象になってしまう

というのが時空現象論の立場です。

ではなぜ我々は変異を観測しないのでしょうか?


ここで浮上するのが
世界は一部でも物理法則を破ると
崩壊する様な規格によって作られている
という仮説です。

これをまず大雑把にイメージしてもらうために
下の図を見てください。



これは風船の様な環境に複数の円形の
生物(知覚者)が住む例だとします。

こんな単純なパターンで知覚が生じる訳ないのですが
ここでは簡単に概要をつかむために
これが単純な知覚パターンと環境のモデル
だと考えてください。

このモデルからどの様な事が想像できるでしょうか?



自動選択では崩壊しない限り
どの様なパターンでも選択される可能性があるのだから
風船が軽く揺れる程度の変形は
起こりそうな気がします。

地球の地表が波風として揺れる様に、
この風船の揺れも生物達にとって当たり前の
現象とみなされる事が予測されます。



一方、風船が割れる事はないでしょう。
なぜなら風船が破裂した場合
一瞬にして知覚パターンも破壊されて
崩壊に至ると考えられるからです。

この様な風船モデルによって
変異が起こらない理由を大雑把ではありますが
イメージする事ができます。

つまり世界は知覚パターンと環境が連動
及び相互依存する様なパターンとして存在し、
どこか一部に変異が起こるとそれが全体に波及して
崩壊する構造になっていると考えられます。




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2018年4月25日水曜日

時間と次元

世界が何次元で構成されているか
これまでいくらか考察してきましたが
3次元の空間というのは
やはり他の次元には代えられない
存在だと思います。


なぜなら前のページで述べた様に
3次元を超える高次元の世界は
3次元空間+時間によって表現できるからであり、

また3次元より低い次元が
単独で成立していると考える必用もないからです。

例えば2次元平面しか存在しない
世界を想像して見てください。


この時点で平面の両サイドに空間を
想像できませんか?

同様に1次元世界として直線を考える場合も
どの方向に向かう直線なのかが問えるので
それは3次元空間におけるパーツの一つ
だという気がするのです。


つまり色々述べておきながら結局
3次元空間は我々が最低限
存在を認めても良い概念だと思います。


では
時間に関してはどうでしょうか?
 

時間とは一つの次元なのでしょうか?


時間というのは何かの動きがなければ
知る事が出来ない概念です。

この世界にはなぜだか分からないが
とにかく何かの動きがある訳です。

そして我々は何か一定の動きを繰り返す
形のパターンをもってして
時間の基準としています。

つまり
確実に存在していると分かるのは
何かの動き=形のパターンであって
絶対的な時間の流れが背後にある事は
保証されてはいません

例えば以前「時間別世界」として指摘した様に
世界全体の時間の流れ方がおかしくても
内部の知覚者には分かりません。

従ってこの世界の時間の流れ方が
スムーズで連続的だとは断言が出来ない事になります。


ただし現象が発生するには最低限
「次」という概念が必用になる
と言う事は出来ます。

何かの動きを分解すると
それはスムーズな動きに見えても
次から次への形の変化、つまり
瞬間から瞬間への移行によって構成されている
と考える事が出来ます。

この瞬間から瞬間への移行が
スムーズに連続的に発生しているのか
あるいは もっと歪な感じで移行しているのかは
断定できませんが、
ともかく「次」から「次」へと
形のパターンが変化していく世界が
存在している事は確実だと言える訳です。

時空現象論においても最低限「次」という概念が必用です。
なぜなら時空現象論では形のパターンは
自動選択によって決まると考えますが
自動選択は次への移行なしには発生しないからです。
…まぁ当たり前ですけれど。


逆に言えば時空現象論では
「過去から未来へ一定速度で流れていく時間次元」
という様な考え方は必ずしも必用ではありません。

次への移行さえあれば、つまり
次から次」とか「瞬間から瞬間」とか「空間から空間
等が指定される構造さえあれば良いのです。

ではこの世界の時間の流れ方は
本当は滅茶苦茶だったりするのでしょうか?
あるいは世界には本当は瞬間的な空間しか
存在していないのでしょうか?

私はその様な考え方をする必用もないと思います。
我々は瞬間に存在する空間を想像した時点で
その前後の時間に存在する空間、
ひいては永遠に存在する空間を想像できるからです。




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2018年4月16日月曜日

知覚と次元

前のページでは構造的な視点から
次元の論理を考察しましたが…

実際の所

この世界は何次元で構成されているのでしょうか?



…まぁそれは
根源的には断定が出来ない事なのかも知れません。

なぜなら知覚者にとっては
知覚パターンさえ成立すれば世界が成立するからです。

つまり我々が知覚している次元と現実の次元が
同じという根拠がないのです。

この事をもう少し具体的に考えてみましょう。

我々の知覚パターンを構成する個々の神経細胞は
単独で己の位置を知っている訳ではありません。

全体的な信号のタイミングや他の細胞からの
接続状況等によって
知覚が構成されると考えられます。

例えば事故によって腕をなくした人に対して
脳に電気刺激を与える事でなくしたはずの
腕が存在していると思わせる事が出来たりする
らしいです。

これは「現実の物理的な位置
という感覚が必ずしも事実を反映している訳ではなく
脳内で作られている可能性を示唆しています。

従ってちょっと大雑把な話になりますが
仮に神経細胞などの知覚と関係する要素を
2次元平面上に配置し直してから信号の順序やタイミング
等を調整する事が出来れば
2次元平面に存在しながらも3次元を知覚する知覚者を
作る事が出来るかも知れません。




この様に我々は世界を客観的に把握したくても
あらゆる知覚や思考は主観で出来ているため
本当に客観的に世界を観察できているかに関しては
断言が難しい分けです。

この事はバーチャル空間で動作する人工知能
について考察した時にも浮き彫りになります。

人工知能を知覚者として認めた場合
彼らは何次元の世界に住んでいる事になるでしょうか?


例えば2次元のゲーム世界用に作られた知能なら
世界を2次元的に理解するでしょう。
しかし実際に彼等の思考の元になっているのは
3次元空間に存在するコンピューターです。

それでもコンピューターで実行するプログラムが
電気信号のオンとオフの配列で表せるから…

等と考えていくと知覚と次元の関係には多様な可能性がある様に
思えます。


従ってこの世界が3次元空間+時間で構成されている
という考え方も一つの推測だとか基準に過ぎないと
言える訳です。

時空現象論においても絶対的事実として
世界が3次元空間+時間で構成されている」と
言いたいのではなく
特に必用がない限りはそう考えておくのが
分かり易いと思ったのでそういう前提に立っている
という面があります。


しかしながら現象形象説が正しいなら
3次元+時間以外の次元は無形事象、
つまり理論的な存在
だと考える事が出来るという事は
指摘しておきます。


つまり仮に世界の説明に4次元を超える
高次元が有用だという理論を作ったとしても
その理論通りに世界が動いている事を確認するには
3次元空間+時間によって表現される
形のパターンに頼る他ないと思われる分けです。




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2018年4月1日日曜日

3次元以外の空間


今回は次元が多い空間とはどういう事なのかを
考察します。


我々は日常において3次元空間の考え方に慣れています。



3次元空間では例えば横軸(X)・縦軸(Y)・奥行(Z)の様な
3つの数字で位置を指定可能です。


しかし物理の研究においてはそれを超える次元を持つ空間を
想定する事があるらしいです。

ところで次元が沢山あるとはどういう事なのでしょうか?

簡単に言えば一つ次元が増えるごとに
何かの比や量・数字で表す事ができる様な
項目が一つ増えます。

例えば1次元あれば一つの数字が使えるので
直線上の位置を表す事が出来ます。



これが2次元になると2つ数字が使えるので
例えば横軸と縦軸で要素の位置を指定できます。
従って2次元の要素が沢山あれば絵が描けます。


3次元あればそれに加えて奥行きも表せるので
立体が表せます。


ただしその立体に色を含む事ができるかと言うと微妙です。
なぜなら色の識別は形と知覚パターンの相互作用だと言えるからです。
つまり時間の存在が必用になります。



4次元あれば3次元空間に加え
4つ目の数字で「いつ?」を指定できる様になるので
時間を表せます。
これにより「普段は存在しないけれど ある瞬間にだけ存在する形」
が表せます。
また形の動き、色、アニメーション等も表せます。

この様に3次元空間に時間の次元を加えた4次元を
4次元時空と呼ぶ事にします。


さて、ここまでは常識的な世界観だと言えますが
仮に世界が5次元で構成されているとしたら
どの様な事が言えるでしょうか?



これは例えばパラレルワールドが無数にある中で
どの世界を指定するか…みたいな表現が可能になります。

ここで言うパラレルワールドとは
この世界とは別に存在していて
独自の空間や時間の流れを持っている世界です。
そんなものが本当に存在するかは分かりませんが
ここでは思考の材料として少し考えてみましょう。
 
5次元あればなぜパラレルワールドが存在可能かと言うと
世界に次元を1つ増すごとに
それまでの世界をまるごと含んだ世界を
特定の方向へ無限に並べる事が出来る
からです。

どういう事かと言うと…
まず0次元から考えて行きましょう。
0次元を一つの点だけが存在する世界だと考える場合
上のルールに従えば
1次元は点を一つの方向に無限に増やせるので
直線が作れます。


2次元は直線(1次元)を特定の方向に無限に増やせるので
平行に並べて行けば平面が作れます。


そして平面(2次元)を無限に重ねれば
立体空間(3次元)が作れます。


ところが4次元目はどうかと言うと
空間上に重複なしに伸ばせる方向がもう
残っていません

しかし時間軸というのを一つの方向と考えると
空間を無限に連続させたものが時間である 
と考える事が出来ます。

つまり
3次元空間が瞬間の空間だと考えれば
それを無限に並べて行けば時間がスムーズに
流れる空間になると言える訳です。


それではこれにさらに次元を加えて
5次元の世界になるとどうなるのかと言うと
4次元時空の時点で既に一般的に
思い浮かべられる世界そのものだと言えるので、
5次元の世界は世界そのものが
言わば世界軸とでも言える軸に沿って
無限に並んでいる状況と例えられるかも知れません。

従って仮に5次元空間があれば
パラレルワールドが沢山ある状況
だと言えるのです。

 …とは言え世界を並べるって言うのは
これはもう意味が分からない、
理論的想像は出来ても具体的な空間的想像が出来ない
状況と言えるかも知れません。

別に私は5次元空間の存在を推す訳ではないし
本当にそんなものが成立可能なのか分かりません。
また仮に成立可能だとしたら、それは
一つの4次元時空を共有する別世界とどう違うのでしょうか?
一つの4次元時空の世界においても
空体パターンの重なりとして
いかようにも別世界を定義できるのです。


ただし世界を構成する次元を必ずしも
空間的な軸だと考える必用はありません。

次元と言うのは世界に存在する要素を
整理するための一つの方向性に過ぎない
考える事が出来ます。

そうすると物理現象を5次元以上によって
法則化する事も妥当性があると言える訳です。

つまり最初に次元の説明として
「一つ次元が増えるごとに
何かの比や量・数字で表す事ができる様な
項目が一つ増えます。」
と述べましたが、
この一つの項目が必ずしも
空間上の方角を表す必用はないのです。

では次元は時間や空間以外に
どのような概念が表せるのでしょうか?

それは高次元を必用とする個々の理論次第だと言えますが
一つはっきりしているのは
次元が増すごとに要素の自由度が増すという事です。

要素の自由度とは要素の存在のあり方の可能性だとか
要素の状態設定の幅の事です。

要素の自由度が増す事により
それまでの次元で同じだと思っていた要素や
近い存在だと思っていた要素同士の状況が
劇的に変化する事があります。

例えば2次元平面上で点という要素を考える時
下の図の様に近接していた2点が
 一つ次元を加えた3次元で考えると遠かったという事もあり得ます。


だからもし5次元目の空間が存在しているとしたら
同じ場所、同じ時間に存在している要素同士
にも関わらず何か知らんけど存在としては遠い…
みたいな事が起こり得る事になります。

要は次元が一つ増えるごとに
要素と要素の間に何かしらの新しい近似度や
評価基準がもたらされる訳です。



これにより…
普通、3次元空間における最も単純な要素と言えば
点、つまり位置ですが高次元の世界においては
位置は要素の一部の性質に過ぎない…
という考え方も可能になります。


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